Partager

第2話  

Auteur: おミカン
揶揄するような声が鼓膜を震わせ、絵里は呆気にとられた後にようやく我に返った。

「弟に遊ばれたと思ったら、今度は兄のあんたってわけ?」

男は藤原裕也(ふじはら ゆうや)。和也の実の兄だ。

絵里が和也と付き合い始めた頃から、裕也は一度として彼女にいい顔をしたことがなかった。

「一度すっぽかされたんだ。二度目を怖がる必要もないだろう?」

裕也の声には嘲笑が滲んでいた。

「いつもの恐れ知らずなお前らしくもない」

絵里は気が短い。挑発にはめっぽう弱いのだ。

彼女は意地になって言い返した。

「行ってやるわよ。誰が怖がるもんだか。でも、今日はもう遅いんじゃないの」

裕也は涼しい声で告げる。

「その心配には及ばない」

……

二十分後。

再び市役所の前に立った絵里の視界に、裕也のすらりと洗練された姿が映り込んだ。その容貌は息を呑むほどに美しく、言葉にできないほどの艶がある。

何より、その身に纏う圧倒的なオーラ。重圧感が凄まじい。

和也もイケメンだが、裕也とは比べものにならなかった。

「よく来たな」

裕也は口の端を吊り上げ、細めた目には邪気すら漂っている。

絵里は電話口での勢いを失い、気圧されて自然と縮こまってしまった。

「来たって無駄よ。シャッターも半分閉まってるし、今日の手続きなんて無理に決まってる」

裕也は片眉を上げ、彼女の背後にある扉を一瞥した。

「本気で覚悟はできているのか?」

低く響く声。

絵里は負けじと言い返す。

「あんたが怖くないなら、私が怖がる理由なんてないでしょ」

怖がるとすれば、それは裕也の方であるべきだ。

何しろ彼と和也は実の兄弟なのだから。

「上出来だ」

裕也の瞳の奥に、微かな称賛の色が走る。彼は絵里の手首を掴み、強引に中へと歩き出した。

絵里は硬直した。マジ……マジで行くの?

彼女が不意に足を止めると、裕也が振り返り、眉をひそめた。

「どうした、怖いのか?」

絵里は僅かに躊躇った。

「どうして私と結婚するの?」

明らかに、彼は彼女を好いてなどいないはずだ。

裕也は鼻で笑った。

「いずれ結婚はしなきゃならない。違うか?他を探す時間を無駄にするより、家族が満足する相手を選んだ方が合理的だ」

絵里はそれ以上訊けなかった。

両家が旧知の仲であるせいか、藤原家の両親、そして藤原祖父も彼女を大層気に入っている。

彼の行動は、ある意味で理に適っていた。

……

十分もしないうちに、二人は市役所を後にした。

呆然とする彼女を見て、裕也の冷ややかな声が降ってくる。

「後悔しても遅い、藤原奥さん。まさか離婚したいなんて言わないだろうな」

縁起でもない。

結婚した瞬間に離婚の話なんて、誰がするって言うのよ。

絵里は白目をむいてみせたが、口調は努めて丁寧に返した。

「そっちこそ後悔しないでよね」

階段を降りようとしたその時、突然腕を引かれ、裕也の懐に抱き寄せられた。

密着する胸板。167センチある絵里でも、彼の前では子供のように華奢に見える。

裕也から漂うシダーウッドの香りが鼻腔をくすぐり、不覚にも心臓がトクリと音を立てた。

頬が熱を帯びる。

「どこへ行くつもりだ?」

頭上から、抗いがたい引力を持った低音が降ってきた。

絵里はどうにか心を落ち着かせ、呼吸を整えた。

「家に帰るのよ」

「新婚早々、夫と別居か?」

裕也が見下ろすと、濡れたように艶やかな睫毛が怯えたように震え、白磁の肌は桃色に染まっていた。

「……忘れてた」

見上げると視線が絡んだが、彼の瞳に宿る暗い色には気づかなかった。

裕也は表情を変えずに視線を外し、彼女を解放した。

「ついて来い」

そう言って彼が先に階段を降りると、絵里は深く考えずに後を追った。

どうせ法的な夫婦になったのだ、売り飛ばされるわけでもあるまい。

それに、元彼を「義弟」にしてやるのだと思うと、なんだか胸がすく思いだった。

……

G市の一等地に佇むその邸宅。一見シンプルだが、随所に贅が尽くされ、洗練された品格が漂っている。

絵里は広々としたリビングの中央に立ち、怪訝そうに裕也を見た。

「ここは?」

裕也は短く答える。

「新居だ。これからはここに住め」

「あんたは?」

絵里は思わず聞き返した。

裕也は眉を僅かに跳ねさせ、冷ややかな視線を向ける。

「ショックで頭がイカれたか?新居の意味も分からないとはな」

当然、「俺も住むに決まっているだろう」、と言わんばかりだ。

絵里は気まずそうに唇を引きつらせた。相変わらずの毒舌だと心の中で悪態をつく。

十年前に出会った頃と同じ、棘のある物言いだ。

可愛げがない!

……

裕也は家政婦の田中(たなか)に案内を任せ、すらりとした背中を向けて二階へと消えた。

絵里はほうっと息を吐き出す。あの冷たい態度。まるで取り付く島もない。

田中に連れられて一回りし、絵里はようやくこのヴィラの規格外の広さを理解した。五階建てでエレベーター完備、十人の使用人は皆、今日配属されたばかりだという。

田中の話では、裕也は今朝、海外から帰国したばかりらしい。

絵里は驚いた。帰国早々に、和也との入籍がすっぽかされたことを知っていた?

まさか彼が私と籍を入れたのは、三年前のあの件に対する復讐?

問いただそうとしたが、彼は書斎で仕事中だと告げられた。

仕方なく待つことにしたが、待ちくたびれて主寝室のソファでいつの間にか眠ってしまった。

ふと気配を感じて薄目を開けると、裕也の端整な顔が目の前にあった。

「何するのよ」

絵里は息を呑み、胸元を隠して警戒心を露わにする。

裕也はブランケットから指を離し、薄い唇を開いた。

「安心しろ。お前の発育不良な身体に欲情するほど飢えてはいない」

カチンときて、絵里の頭に血が上った。

「三年前とは違うわよ!ちゃんと成長したんだから!」

彼女は裕也の大きな手を掴み、自らの胸の膨らみへと導こうとし、寸前で正気に戻って手を離した。

どうかしてる。

和也と五年付き合って、キスさえしたこともないのに。

今、もう少しで……

耳の根元まで真っ赤になった絵里を見て、裕也は口元を歪めて揶揄った。

「どうした?期待外れだとバレるのが怖いか?」

絵里は顔から火が出るほどの羞恥に襲われ、彼を突き飛ばした。

「発育不良だろうが何だろうが、あんたには関係ないでしょ」

立ち上がって逃げようとしたが、すぐに押し戻され、背中が再びソファに沈んだ。

身じろぎする彼女の上に、裕也の高大な体躯が覆いかぶさる。強烈なオスの匂いが押し寄せた。

「絵里……」

蠱惑的な響きを孕んだ声。

「俺と結婚する度胸はあるくせに、これをする度胸はないのか?」

その顔立ちは理知的で気品に満ちているが、瞳の奥の邪気までは隠せていない。開いたシャツの襟元から、セクシーな喉仏が覗いている。

絵里の脳裏に、三年前のある光景が鮮明に蘇る。

確かに経験はない。だが、知識までないわけじゃなかった。

頭に血が上り、絵里は裕也の襟を掴んで引き寄せると、その薄い唇を強引に塞いだ。

噛みつくようなキス。手慣れたふりをしたが、その動きはぎこちなく、何度か歯がぶつかった。

裕也の瞳に欲色が渦巻き、表情に理性のタガが外れる兆しが見える。

「絵里、自分が何をしてるか分かってるのか」

「分かってるわよ、あんたを組み敷いてやるの」

絵里はまだ意地を張って、彼の唇を食んだ。

「何、怖いの?」

挑発的な視線を向ける。三年前と同じように、彼をからかってやろうとしたのだ。

「後悔するな」

裕也は顔を伏せ、主導権を奪い返すようにキスを深くした。口腔内の空気を略奪し、火照った身体が彼女を焦がしていく。

その声は枯れ、漆黒の瞳には隠しきれない欲望が宿っていた。

「三年前にやり残した続きを、始めようか」

Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application
Commentaires (2)
goodnovel comment avatar
美恵
和也との関係が対等ではない時点で結婚しても未来は見えてる。兄と勢いで現実的ではない展開だけど、この先のどうなっていくのはか楽しみです。
goodnovel comment avatar
原あずさ
展開が楽しみです...!
VOIR TOUS LES COMMENTAIRES

Dernier chapitre

  • 入籍しないなら…兄嫁になります!~冷徹社長に溺愛される日々~   第616話

    悟史は椅子に深く腰掛けて脚を組み、とりとめのないリズムで太ももを指先で叩きながら、物思いに沈んでいる。しばらくして、ようやく口角を吊り上げる。「うまくいくかどうかは別として、少なくとも水原が潰れることはないと分かった。僕にとっては悪い話じゃない」アシスタントも頷いて同意する。「おっしゃる通りです。ただ、以前は治夫様が会社のすべてを悟史様に任せておられましたが、今はお嬢様がグループを引き継いでいます。悟史様の権限は依然として大きいとはいえ、多くの大型プロジェクトは基本的にお嬢様が握っておられますし、悟史様に対して何か思うところがあるのではないかと……」悟史は指の動きを止め、意味深な響きを含ませて口を開く。「水原に彼女がいる限り、未来は明るいさ」アシスタントは驚く。悟史様がそこまで言うとは。絵里に対する評価があまりにも高すぎる。一方、絵里は悟史のことなど気にしている余裕もなく、裕也を連れて病院へ戻っている。健に尋ねる。「彼、薬は飲んだの?」健は視線を泳がせ、口ごもりながら答える。「午前中の分は、飲みました」「午前中って!もう午後じゃない。どうやらあなたたちの社長は特別製みたいね。薬を飲まなくても治るなんて」健は恐縮して口をつぐむ。だが裕也は満面の笑みを浮かべている。絵里が怒っていることさえ、むしろ嬉しいとでも言うように……「一時間ちょっと遅れただけだよ。今から飲むから、健を責めないでやってくれ」「よくもまあ庇えるわね。彼があなたを病院から連れ出して入札会場に行かせた時点で、止める責任を果たしてないじゃない。もしまた傷口が開いたらどうするつもりだったの?」絵里は薄っすらと怒りを滲ませる。あの時、彼が救急救命室に運ばれた光景は、今でも思い出すだけで恐ろしい。あの日、自分は頭が真っ白になり、ただ一つ「裕也を死なせてはいけない」という思いだけが脳裏に響いていた。父さんも母さんも、もういない。彼とじいちゃん、どちらか一人でも欠けるようなことがあれば、到底耐えられなかった。裕也は絵里の表情に浮かぶ恐怖を察し、居住まいを正して柔らかな声で言う。「ごめん。もう二度としないよ。今日は俺も少しは役に立ったってことで、どうか機嫌を直してくれないか?」絵里に彼を本気で怒り続けられるはずが

  • 入籍しないなら…兄嫁になります!~冷徹社長に溺愛される日々~   第615話

    洋二の怒りは一気に沸点に達し、絵里を指差して怒鳴りつけた。「いい気になるなよ。藤原の後ろ盾を失った水原を、これからどうやってまとめていくつもりか、見ものだな!」裕也はずっと絵里の前に立ちはだかり、彼女を庇うようにしている。そして、鼻で笑いながら言い返す。「俺は水原との提携を打ち切るつもりなんてない」「俺はお前の父親だぞ。いくらお前がグループの実権を握っているとはいえ、父親に逆らうつもりか!」洋二は以前から、裕也のことを物事に動じず、大局を重んじる男だと評価していた。だが最近の裕也は、藤原家の利益を度外視するような行動を繰り返している。それはもはや、洋二の忍耐の限界を超えていた。「両社の提携は、これまでも順調に進んできた。父さんは私情で経営判断に口を挟まないでくれ。それに、俺の決定を覆せる人間などいない」裕也の口調には、一切の反論を許さない強さがあった。その背筋の伸びた立ち姿はどこまでも堂々としており、圧倒的な威圧感を放っている。絵里は一瞬、呆然とした。裕也が迷うことなく自分を選んでくれたことが、絵里の心を激しく揺さぶった。和也の顔色は優れない。二人の結婚をすでに受け入れていたとはいえ、やはり彼らを引き裂きたいという思いは消えていなかった。洋二は怒りのあまり、顔を引きつらせた。「いいだろう。そこまで言うなら好きにしろ。だが忘れるな、俺はお前の父親であり、お前の決定に干渉する権利がある。ましてや、その女はお前の母親を害した張本人だ。言っておくが、俺の目の黒いうちは、絶対にこの女を認めんからな」裕也の目には冷ややかな色が浮かんでいた。その表情から感情を読み取ることはできない。だが、彼の全身から放たれる空気は、凍てつく冬の風のように冷酷だった。周囲の者たちはその様子を目の当たりにし、誰も口を挟めずにいた。ただ、水原と藤原の関係も、いよいよ終わりを迎えるのだと感じていた。いくら裕也が優秀だとしても、今回絵里に不満を抱いている相手は、彼の父親である洋二だ。裕也が絵里を助けたいと思っても、本気で父親に逆らい続けることなどできるはずがない。「おめでとう。狙っていた土地が手に入ったな」裕也は何事もなかったかのように、穏やかで上品な雰囲気を漂わせながら、絵里に微笑みかけた。だが、絵里は眉を寄せる。

  • 入籍しないなら…兄嫁になります!~冷徹社長に溺愛される日々~   第614話

    「俺が来なかったら、お前みたいな三流のクズに俺の妻がコケにされるところだったじゃないか」裕也は厳しい表情で言い放つ。安藤は目を見開いた。妻だと?周囲の者たちも一様に驚愕の表情を浮かべる。洋二は二人の関係が公になることを恐れ、すぐさま歩み寄って怒鳴りつけた。「体調が悪いのに、大人しく病院にいないで、こんな所で何をしている!」「俺が来なかったら、この面白い見世物を見逃してしまうから」裕也は皮肉げな笑みを浮かべ、眉を上げながら洋二を見据えた。その言葉には明らかな含みがあった。裕也は知っていた。自分が数日間入院している隙を突き、洋二が上層部に自分の息のかかった者を多数送り込んでいたことを……一方で、自分が重用していた者たちは窓際へ追いやられるか、何らかの口実をつけて左遷されていた。その意図は明白だった。社長である自分の権力を骨抜きにし、失脚させるつもりなのだ。今回の土地入札こそ、洋二の計画の第一歩だった。入札に成功し、新プロジェクトが始動すれば、それを口実に自分を排除するつもりだったのだ。洋二は心臓が跳ねるのを感じた。まさか、何か感づかれているのか?絵里は裕也の姿を認めると、瞳の奥にあった冷たさを和らげ、隠しきれない心配の色を浮かべた。「どうして病院で休んでいないの?ここに来なくても、私と紫垣さんで何とかできたのに」裕也は手を伸ばし、愛おしそうに彼女の頭を撫でた。その瞳には、面白がるようなからかいの色が揺らめいている。「お前のそばにいれば、この後結果が発表された時、すぐに祝いに連れ出せるだろう?」悟史は裕也を横目で見て、すべてを悟ったように微かに口角を上げた。なるほど、そういうことか。その時。周囲の者たちは、ただ鼻で笑っていた。確かに二人の距離感は近く、噂通りただならぬ関係であるようには見えた。だが、それ以上に彼らが望んでいたのは、絵里が藤原に敗北し、惨めな姿を晒す瞬間を見ることだった。今回の入札責任者である三保が、手に名簿を持って舞台裏から姿を現した。人々はすぐさま席へ戻り、責任者による結果発表に耳を傾ける。「今回の入札ですが、水原グループが四号地および五号地の開発権を見事落札いたしました。こちらが次期地下鉄拡張路線の計画区間となります」その言葉が響き渡った瞬間

  • 入籍しないなら…兄嫁になります!~冷徹社長に溺愛される日々~   第613話

    「藤原さん、おめでとうございます。最高の土地を二つも手に入れられましたね……」周囲から称賛の言葉と拍手が沸き起こる。洋二は高いところから見下ろすように絵里を一瞥したが、すぐに視線を外した。まるで最初から彼女など眼中にないかのようだ。続いて、四号地と五号地の競売が始まる。絵里は悟史と連携し、それぞれ五十億と六十億で四号地と五号地を落札する。この二つの土地は、誰も見向きもしないような代物だった。これには和也もすっかり失望してしまった。あまりにも辺鄙な場所で、G市のほぼ境界線上に位置している。手に入れたところで、不良債権になるだけだ。「だから言っただろう、あの女には無理だと。水原も彼女のせいで終わりだな」「どうせ水原にはもうまともな人材がいないんだ。彼女が金を全部溶かしたところで、驚きはしないさ」本日の競売では、今後の開発計画がすぐに発表されることになっている。絵里は周囲の嘲笑を完全に無視し、涼しい顔をしている。微塵も焦っている様子はない。「不良債権になるかどうかは、後で発表されれば分かることよ。何をそんなに焦っているの?」他の者たちは鼻で笑う。彼女の甘さを嘲笑っているのだ。「ブランドバッグを買ったり、ショッピングを楽しんだりするのと同じ感覚か?その二つの土地はすぐに使い物にならなくなる。タダで譲ると言っても、誰も引き取らないぞ」「いくら安いとはいえ、百十億だ。聞いたところによると、おたくの以前の現場では資金ショートでストライキが起きたそうじゃないか。その百十億、もっとまともなことに使ったらどうだ?」「もし私にこんな娘がいたら、死んでも怒りで生き返るね」悟史は冷笑し、その男を睨みつける。声には明らかな敵意がこもっている。「なら、一度死んでみたらどうですか?娘さんに財産を食いつぶさせて、怒りで生き返れるかどうか試してみればいいんです」「所詮、お前は誰かに雇われている身だろう。聞こえのいい肩書きがあっても、使い走りに過ぎない」「僕が何者かは重要ではありません。重要なのは、僕があなたを破滅させる力を持っているということです」悟史の眼差しが鋭くなり、その奥には破壊的な怒りが渦巻いている。彼が怒りを露わにした時の気迫は、どこか裕也と似ている。絵里は数秒呆然とした後、彼の手を軽く叩き、怒りを鎮める

  • 入籍しないなら…兄嫁になります!~冷徹社長に溺愛される日々~   第612話

    絵里の手がゆっくりと上がる……その動きに、その場にいた全員が息を呑んだ。洋二は目を細め、全身からどす黒い怒気を漂わせる。どうやら、今までこの小娘を甘やかしすぎたらしい。「絵里……」和也が心配そうに絵里を見つめ、思わず声を漏らす。だが次の瞬間、絵里はさらりとした髪をかき上げ、赤い唇に笑みを浮かべた。「藤原の圧倒的な財力には、本当に感服いたしますわ。私もこの土地は気に入っていたのですが、泣く泣く諦めるしかありませんね」悟史は絵里の様子を見て、少し訝しげに眉を寄せた。計画では確かに競り合う予定だった。だが、価格が九十億を大きく超えることなど想定していなかったはずだ。会場にいる者たちは四大名門には及ばないものの、それなりに名の通った人物ばかりだった。そんな彼らから、絵里に対する嘲笑の声があちこちからさざ波のように広がる。和也は密かに安堵の息をついた。このプロジェクトを成功させ、子会社の経営権を取り戻せば、その時は絵里を助ける方法も見つかるだろう。もし水原に問題が起き、最終的に裕也が絵里と離婚することになれば、その時こそ自分の想いを彼女に伝えることができる。そうすれば、絵里の心も再び自分へ戻ってくるはずだ……二号地の競売は比較的順調に進み、落札したのはG市でトップクラスに入る大手不動産デベロッパーだった。二号地の後、いよいよ一号地の競売が始まる。絵里が真っ先に声を上げた。「五十億」水原にとっても、一号地は非常に魅力的な選択肢だった。政府が今後の開発計画において、一号地か三号地のどちらかを選ぶ可能性が極めて高いからだ。悟史が絵里へ顔を寄せ、小声で尋ねる。「少しペースが早すぎませんか?」「じゃあ、あなたがやる?」「それも悪くありません。僕がやってみます」悟史は片眉を上げ、飄々とした態度を見せた。しかし、その奥にはビジネスの最前線を渡り歩いてきた者特有の、底知れない落ち着きと威圧感が潜んでいる。「六十億」「六十五億」「……」悟史は涼しい顔で言い放った。「八十五億」「百億」洋二の重厚な声が響き渡る。その態度は先ほどと変わらず、絶対に手に入れるという執念に満ちている。その間、絵里は手元のスマホで裕也から届いたLINEのメッセージを確認している。【優

  • 入籍しないなら…兄嫁になります!~冷徹社長に溺愛される日々~   第611話

    悟史は絵里を振り返り、驚いたように尋ねた。「どうしましたか?」壇上の司会者が、これ以上入札する者がいないか確認を始める。「三号地には問題があるわ」絵里はスマホを強く握りしめた。先ほど裕也からLINEが届き、三号地を避け、四号地と五号地を狙うよう忠告されたのだ。その二つのうち、五号地だけが、絵里と悟史が密かに打ち合わせていた本来の狙いと一致している。だが、他者の目を欺くため、水原の狙いは一号地と三号地だという噂を意図的に流していた。確かに三号地は第一候補だった。しかし、洋二がそう簡単に譲るはずがないことは分かっていたため、真の標的は五号地に定めていたのだ。悟史は訝しげに絵里へ問いかける。「計画変更ですか?」事前の打ち合わせではこうだった。三号地を九十億以内で落札できなければ、予備の五号地へ切り替える。絵里が首を横に振って答えようとした、その時。周囲から嘲笑の声が次々と上がり始めた。「水原さん、まさかもう資金切れですか?たかが八十億で尻込みするくらいなら、いっそ身を引いて、紫垣さんに会社を任せた方がいいんじゃないですかね」「どうやら世間の噂は本当らしいな。治夫を失った水原など、いずれ骨の髄までしゃぶり尽くされる運命だろ」「まあそう言うな。水原さんはシステム開発ができるんだろう?新エネルギー産業は飛ぶ鳥を落とす勢いだし、もし本当にまともなシステムを作れたら、水原もまだ助かるかもしれないぞ。その時は治夫も喜んで目を覚ますんじゃないか」「はははっ……」会場はどっと沸き、嘲りの視線が隠されることなく絵里へ突き刺さる。だが、今の絵里がそんな嘲笑に動じることはない。「諦めるわけないでしょう」絵里は彼らを一瞥もせず、壇上を見据えた。「八十五億」洋二が鼻で笑う。「九十億」悟史は理解できず、眉を寄せた。「なぜ計画通りにしないんです?」二人にしか聞こえない声で、低く尋ねる。絵里は静かな表情を崩さず、わずかに口角を上げた。「水原と藤原が本当に真っ向から対立した時、私たちにどれだけの力があるのか見てみたいのよ」裕也の言葉に間違いはない。五号地を狙うなら、最大の敵の資金を削っておく必要がある。そうでなければ、五号地をすんなり手に入れることは難しいだろう。「九十五

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status